家族があり、その中で年を重ね、やがて寿命を迎えます。共に過ごし、豊かな年月を重ねた家族は、故人の見送りをした後も、やさしく心を寄せるものです。それが人として、自然に湧き上がる心情です。
最近、終活という言葉があふれていますが、本来の意味は、老齢になり自身の生きた道を思い起こし、人生を味わいながら身の周りを整理し、無駄なものを処分することです。例えば、若いころからの写真を見直し、本当に大切な思い出の写真を手元にまとめ直して、必要でない大多数を処分することです。大切な写真を見返し、晩年の貴重な時を心豊かに過ごそうということです。人生を振り返り、良いことや堪能することなく後悔もなく、「何でもかんでも捨てる」のは、その人の歩んできた人生を軽んじる行為です。高齢となり、歩んできた自身の人生を振り返り、咀嚼することは晩年の大きな喜びだと思います。マスコミや、世の風潮に踊らされ、大切な物を軽んじてはいけません。
供養の場として、お墓・仏壇などがありますが、優しい気持ちと上品に生きる心持を次世代にしっかり繋ぐことも大切だと思います。ITやスマートフォンなどで、人と人のつながりが薄れ、おざなりとなり、地域とのつながりが希薄となり、家族の関係も薄くなることは残念なことです。
家族・地域での交流は、何も目先の利益にはなりそうにもありませんが、地域の交流は日常生活で心を豊かに、家族の交流は心身が愛に包まれます。大病になった時にも心の支えとなります。大病で奇跡的に助かる方、心安らかに亡くなられる方は、大概家族・知人の愛に包まれているように思えます。周りに愛をもって接する方は、「利他の心」と言いますが、利他の心は強く自身を守ってくれます。「他人に興味のない、自分だけが大切」の、自分本位の考えは、良き友人を失い心寂しい人生になりましょう。上品な良い供養の形は、良い心持を表しているように思えます。