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仲田順和 管長 の思い出

令和5年10月10日逝去87才

25年前 研修で醍醐寺本山に伺ったとき、宗務総長としてお話を伺ったことが、最初の出会いです。
生真面目で誠実な印象の宗教家でした。
品川 品川寺(ほんせんじ)住職で、江戸期 幕府に重用されたお寺の住職です。寺は、慶喜将軍の折、パリ万博の為 寺にある梵鐘を万博会場に展示の為提供し、その後 長い時を経て品川寺に鐘は戻りました。
師は、ダライ・ラマ14世が訪日の意向を持った時、中国政府におもねる外務省の意向を排除し、身元保証人となって、ダライ・ラマの訪日を支えられたそうです。
周りの忖度、などを越えて、仏教を守る意思の有る豪胆な方でした。
また、秩父地方の活性化を念じ、火祭りを桑畑の中で始め、秩父鉄道の協力の元、盛大な「秩父の火祭り」として、地域に定着させました。
コロナ過が始まるころ、火祭り50年 で参加させていただき、 良き接待を受けました。継続してことを行い、実績を残す方でした。
醍醐寺の2月23日「五大力・仁王会」で、助法の為 全国から僧職が駆け付けますが、前夕の食事会で「明日は、よろしくお願いします」丁寧なあいさつと、美味しい食事を振る舞われてをおられました。
祭りの為、細やかな配慮をされる方でした。
熊本の大地震の時には、被害の半年後 熊本城・阿蘇神社に 全国から行者に声を掛け、百名以上で「百螺祈願」として貝を鳴らして練り歩き、復興を祈願されました。復興の為に声援を送る行為でした。
参加した行者には、直筆で 参加記念としての色紙をくださいました。
良き先達でした。